ドラフトの波紋

1998年のシーズン終了後に開催されたドラフト会議で、オリックスは新垣の1位指名を強行し、福岡ダイエーホークスと競合の末に交渉権を獲得。が、新垣側は入団拒否を明言しており、交渉を担当した球団編成部長三輪田勝利の接触すら拒むなど難航を極める。交渉が進まない状況について井箟重慶球団代表(当時)などオリックス球団上層部は三輪田を厳しく叱責したようだ。そして、ケアのしようがないほど、精神的に追い詰められた三輪田が11月27日に那覇市内で投身自殺。この三輪田の自殺について遺書はなかったが、当時の状況から職務遂行上の自殺であったと断定され、翌1999年に労災認定が認められている。また、三輪田の自殺を受けての記者会見の席上で井箟が「オリックス球団に責任があったとは思えない」と発言したことが激しい非難にさらされた。また、オリックス入りを拒否した新垣本人や家族・学校関係者も批判の対象となる。

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